ココロの漢方

写真の為に北海道から小笠原まで住み込みながら放浪し、町工場の溶接工からホテルマンなどをやってきた、一風変わった薬剤師が日々の思いを綴ります。

強運の家系。戦争から感電からも生還。じーちゃんばーちゃんありがとう✨

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

に乗っかったる〜٩(๑`^´๑)۶

 

別に由緒正しき貴族の家系とかではないけど

 

 

運が強い。

 

ほんまに、強運の家系やと思う。

 

 

父方の祖父は元軍人。

 

陸上自衛隊ではなく、帝国陸軍

 

軍の学校出の職業軍人として出征

 

満州の方で、終戦を迎えるも

 

南方に送ってまともな武器弾薬もなく、最後は部隊長が戦死するほど壮絶やったらしく、白兵突撃の話は生々しい

 

白兵突撃の際、突撃〜!の合図で、わーっと出て突っ込んでいかないと

 

二の足を踏むと出遅れる

 

らしい。

 

白兵突撃で生き残り、シベリア抑留

 

シベリア抑留の頃の話は、いくら酒を飲ませても、家族にさえ一切喋らなかったという

 

文字通り、墓場まで持っていってしまった

 

相当に辛かったんやと思う

 

 

気力の萎えたやつから死んでいった

 

 

が唯一、親父から聞いた言葉

 

 

それでも弾一発かすらず、指一本凍傷にならず帰ってきた

 

 

僕の出身は兵庫県で、有名な松の景勝地に

 

尾上の松(おのえのまつ)

 

があるが、ソ連からの復員の列車の車窓から、海岸沿いの尾上の松の木々を見たとき

 

ああ、日本に帰ってきた

 

と心底思ったと聞いた。

 

晩年は、多趣味で、これは僕に遺伝したらしい。

 

覚えてるのは、笑顔で小学生のときの僕らの関西弁を面白そうにいじる姿で、到底そんな若き頃の苦労は想像もつかなかった。

 

多趣味も、なんて言うのかな、もしかしたら生死の狭間をかいくぐってきただけに、思うことがあったのかもしれない

 

祖母は、従軍看護隊でフィリピンの本隊付き。

 

病院の負傷兵士の荒々しい治療光景は、マジかよと絶句するような、戦争映画で見たような話を聞いた。

 

当時の仲間とは、終戦後も物を送ったりして長年交流があったという

 

よくまあ、玉砕せずに帰ってきてくれたと思う。

 

祖母は、90過ぎてなお、今も元気である。

 

 

母方の祖父は職人で、中学に行っておらず、学はないが自分で工場も設計して建てたという

 

その工場は阪神大震災の大ダメージを受けた神戸市の中心街近くの地域にありながら、震災でびくともしなかった

 

若い頃、6500Vの配電盤で感電して、吸い寄せられたが、とっさに突き放して

 

地面に飛んだときの骨折ですんだという

 

祖母は、戦争のとき神戸に住んでいたが、同じ神戸市でも火垂るの墓のように重点的にやられた地区ではなく数発落としていった程度で、節子のような思いをすることはなく

 

遠く神戸の中心街の方向が真っ赤に、燃えていたのを見たという

 

 

今も、祖母は2人共元気だ

 

 

こんな壮絶な祖父母の話を聞くと

 

 

ほんまに、強運の家系やと思う。

 

 

昔、家系のルーツを探れば自分の使命もわかったりする

 

 

みたいな話を聞いて、調べたことがあるが

 

 

当時は、由緒正しき貴族の家系とかではなく、おもっくそ平民でガッカリした記憶がある(笑)

 

 

しかし、今になって思うのは

 

 

いや、相当に強運の家系やんけ

 

 

ということ。

 

 

それで、十分ではないか。

 

 

思えば、僕自身、拝まれたこともあるが、

 

 

運が強いとしか思えん

 

 

という事が度々あった

 

 

僕だけではない、兄弟もそうだ。

 

 

運の強さをつい忘れそうになるが、折に触れてこの家系のことを意識するようにしている

 

 

 

敬老の日。おじーちゃん、おばーちゃんありがとう✨

 

 

 

ひとこと。

 

 

ネトウヨ系ではありません、あしからず。

 

 

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☆今回も、最後までお読みいただきありがとうございました☆彡